沿革
Our Story

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ダイヤ菊の歴史
当蔵は享保2年(1717)に諏訪高島藩御用商人米問屋の「大津屋」として創業いたしました。
その後大正3年(1914)酒造りに乗り出し、酒造りに適した立地条件と、先人の努力が実り、当時の銘柄「ダイヤ菊」「ダイヤ鶴」は東京市場でも大いに受け入れられるほどの人気を博しました。その後昭和26年(1951)ダイヤ菊酒造株式会社を設立し、地元の皆さんや、小津安二郎監督をはじめとする茅野を訪れた様々な方々に愛され現在に至っております。
なお「ダイヤ菊」の名称は、最高の宝石「ダイヤモンド」と日本の名花「菊」を組合せ、最高のお酒を目指して名づけられたものです。

| 享保2年(1717) | 「大津屋」の屋号で諏訪高島藩御用商人米問屋として、上諏訪に創業。 |
|---|---|
| 明治20年(1887) | 日本橋にて洋酒・缶詰問屋「大津屋」を開業。 |
| 明治30年(1897) | 諏訪郡永明村(現茅野市)に分家し、宮坂光次郎商店として開業。 |
| 大正3年(1914) | 大津屋本家酒造場を創業。 |
| 昭和26年(1951) | ダイヤ菊酒造株式会社を設立。 |
| 平成17年(2005) | 酒蔵を改修、設備を整え、より品質管理の行き届いた生産体制となる。 |
| 平成20年(2008) | 社名を諏訪大津屋本家酒造株式会社に改称。 |
| 令和2年(2020) | 社名を戸田酒造株式会社に改称。 |
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小津安二郎とダイヤ菊
映画界の巨匠、小津安二郎監督は、脚本家野田高悟とともに、蓼科を創作の本拠地として、数多くの名作を世に送り出しました。蓼科の自然を愛し、この風土に育まれた地元の人々に接し、この地ならではの生活を送ることをたいへん楽しみにしていました。
小津安二郎監督は一言で「蓼科は、うまし処ぞ」と言い残しています。仕事場での日記『蓼科日記』には、ダイヤ菊が度々登場し,小津安二郎監督ととても縁深かったことがわかります。また、こんなエピソードも残されています。野田高悟氏との会話の中で「ダイヤ菊(一升ビン)100本飲みましたが、まだ映画が完成しませんね」小津安二郎監督は、ダイヤ菊(一升ビン)100本を、脚本を一本完成させるバロメーターにしていたようです。
小津安二郎 略歴
1903年12月12日東京深川生まれ。日本を代表する映画監督として、おもに家族をテーマとした作品をつくり続けた。「一人息子」「麦秋」「東京物語」など生涯で54本の作品を残し、海外でも高く評価され、いまなお多くの根強いファンをもつ。1963年12月12日逝去、北鎌倉の円覚寺に眠る。






